蔓の旋回と天体の動き

聖書にブドウやワインの記述がたくさん出てくることは、知っていて、気になっている。そこに描かれるブドウは、どこまでも土地や人の体の血肉と結びつけられ、生々しく重いものだ。このイザヤ書の「ブドウ畑の歌」の一節も、そこに含まれる教えを受け取れているわけではないのだろうけれど、印象に残る。(『ヨハネ黙示録』にもこの場面が描かれていて、そちらは「神の怒りの搾汁機」から溢れるほどの「血」が描かれて、より痛烈)

私の愛する人は肥沃な丘の中腹に
ブドウ畑を持っていた
土を掘り起こし、石を取り除け
選りすぐりのブドウを植えた。
畑に物見やぐらを建て
搾汁機もつくった
そして、よいブドウを収穫するのを待ち望んだが、
悪いブドウしかできなかった[中略]
私はよいブドウを待ち望んだのに
なぜ悪いブドウしかできなかったのか?

これらは「古代ワインの謎を追う」の中で読んだ。この本は、現代のワイン産業の裏で失われてきた、ブドウ品種やワインの製法を巡る旅が描かれている。遺跡から採取されたDNAによって見つかる古代品種、まわりからは「変人、狂人、時代遅れ」と見なされた人が守った伝統品種など、読んでいると、古代からいかに多種多様なブドウが、みずみずしい実を結んできたかをありありを感じることができた。
他に、ダーウィンの蔦性植物の記述の引用も。私のブドウへの興味は、半分は果実、半分は葉と蔦からできているのだと改めて思う。

植物が蔓性植物になるのは、光に到達し、葉の大きな表面を光の動きと自由大気の動きに触れさせるのが目的と考えられる。…」

ブドウではないが、そのクネクネとねじれて育った姿を見て以来、ずっと気になっている木がある。この木には、ある場所から根ごと移植されたという過去がある。先日念願叶って、植物生態学を専門とする先生に、そのねじれについて質問し、推察される日照との関係を説明してもらった。植物の生長を考えるなら基本中の基本なのだけれど、私にはそこがすっぽり抜け落ちていて、強引な人的移植のことばかり考えていたので、植物と天体というそのスケールにはっとさせられたのだった。そういえば、スイスで月の満ち欠けに基づいてぶどうを栽培するビオディナミのワイナリーに友達と行って、とても美味しい白ワインを飲んだこともあった。当時はオーガニック農法の一つという理解しかしていなかったけれど、地球で生きるものが、けして地球の中だけで完結していないことに、今更ながら気づかされる。
なにか目の前のものについて、どれくらい遠くのものとの連関を、具体的に考えられるか、いつも忘れないようにしたい。

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