



岡本健+さんとはじめて会ったのは、2024年の山形ビエンナーレだった。会場だった蔵王体育館の前で、背が高く、ただならぬ気配を漂わせた男性が、明らかに迷子になっているところに声をかけた。結局、私も道が分からず、分かりそうな人のところまで一緒に行くことになったけれど、その時のやりとりからして、本当に気持ちのよい方だった。
“8/21,22「岡本健+ 追悼展」に向けて” の続きを読む大和由佳の日記




岡本健+さんとはじめて会ったのは、2024年の山形ビエンナーレだった。会場だった蔵王体育館の前で、背が高く、ただならぬ気配を漂わせた男性が、明らかに迷子になっているところに声をかけた。結局、私も道が分からず、分かりそうな人のところまで一緒に行くことになったけれど、その時のやりとりからして、本当に気持ちのよい方だった。
“8/21,22「岡本健+ 追悼展」に向けて” の続きを読む奈良県立美術館 ギャラリー企画「奈良ゆかりの現代作家展 ふれる光 三輪途道」
2026年6月27日(土)~8月23日(日)
https://www.pref.nara.lg.jp/n044/p105008.html
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先月は一泊で奈良に行ってきた。京都で乗り換えて近鉄線へ。車内の雰囲気や流れる風景を見ながら、だんだん奈良に来た実感が湧いてくる。京都で学生だった頃、仏像や古墳を見によく奈良へ行っていた。途中、さらに見たことの風景があらわれて、祖母が晩年を過ごしたところの近くだと気づき、そこへ通っていた父のことも思い出した。
旅の一番の目的は、彫刻家の三輪途道さんの展覧会を見ることと、彼女の白杖の写真を撮ること。三輪さんのドキュメンタリーを撮影している岡安賢一さんが事前に口添えしてくれたおかげで叶った念願の撮影だった。
“光明観音像と三輪途道さんの杖” の続きを読む食べ物の味が、回復の記憶と結びつくことが多い。この夏はあの有名な尾花沢のスイカを食べた。スーパーで見かけているときは、値段的に敬遠していたけれど、その土地に行って露路に並ぶ風景を見たら、あっというまにその気になった。
最近は、夏が近づいてきて、体調をこわし、低空飛行しているうちに回復するだろうと思いながら過ごしていた。今の社会状況に気持ちが沈んでいることに加えて、一年前に家族が亡くなった季節が近づいていることに、体が明らかにひっぱられていた。あの時の、体に穴があくような痛みと温度と湿度に襲われて、ひどい気分で全然浮上できないぞ。そううすうす感じながら、秋の展覧会に向けて準備は進めていて、たどり着いた奥羽山脈の分水嶺で、スマホを落とした。生まれてはじめてiphoneを探すの機能を使ったが、あれは本当に命拾いするので、Apple IDとパスだけは暗記しておくと良いと思う。私は暗記していなかったので、もっと冷や汗をかいた。分水嶺に夢中になっている間にカバンから落ちていたスマホが、土手でその音を鳴らして、私の手に戻ってきた。ああ今私の不調は底を打ったと思った瞬間で、呆れてもこういう自分でやっていくしかないと受け入れ、そしてそこはすいかの名産地だった。8kg超えの一個を買い、6時間運転して無事帰宅。翌朝、切ってお世話になっている人と夫の実家に届ける分を切り分け、残りの半個を二日に分けて食べた。おいしい、めちゃくちゃに美味しかった。私は残りの人生では、夏に一個の尾花沢のすいかを買うことを心に決めた。
6/25、池上TRY MANY TIMES CLUBでの杖展アフタートーク&ダイアログが無事終わりました。https://trymanytimes.club/collections/event/products/6-25
昨年の杖展のアフタートークをすること、そしてトークの後半に、参加者間で対話の時間をもつこと——これは宮田さんが企画してくださったことでした。
自分の時間を費やし経験したものについて、きちんとアフターケアして、得るものが倍増したというか、すっきり消化するためだけでなく、時にはすぐには飲み込めないようものとして心に残す仕組みをつくることの大事さを教えてもらった気がします。
トークでは、宮田さんの、杖が「必要なもの」であると同時に、メガネのように「個性や装いとして選ぶもの」になりうるという話が印象的でした。杖の未来を、私自身は想像したことがなく、宮田さんのこうした展望が、ヴィルヘルム・ハーツの杖を選ぶユーザーさんとの交流から生まれてきたことが素晴らしいなと思う。道具がもともと備わっている物理的機能を超えて、使うひとの自尊心を育てうるということは、私の制作にもつなげて考えられることでした。
「町工場のおじさんです」と自己紹介した義肢装具職人の畑さん、世界の松葉杖を蒐める日々のあれこれはいつ聞いても面白くて。そして、杖という道具の象徴的な部分(占い、杖から根が生える、境界、生者と死者)などの民俗学的な話にまで踏み込んでいったのも感服しました。参加された人からも、そのことへの感想がいくつもあり。(いつも関連しそうな本を持参してくれる畑さん、この日は松村武雄『民俗学論考』だった。)私自身、実制作と象徴性とを繋げて話せるようになってきたことが、うれしかったです。
参加者の方たちの切れ味豊かな質問とあたたかなご感想も、とても心に残っています。ありがとうございました。次回、杖展 Vol.2 は12月に森岡書店(銀座)での開催を予定しています(ついに畑さんの本が出るのです出)。また/いつかお会いできますように。

(西浦さん、写真をありがとうございました!)
1995年愛知県美術館以来だから、約30年ぶりの回顧展が東京都美術館で。当たり前のような気分でここで観てきたけれど、別にぜんぜん当たり前ではない。
窓やドアなどのモチーフが多いことから「境界」というキーワードで読み解いていく試みには物足りなさを感じてしまった。海外からの作品は少なく、掘り下げるにも作品がないとということもあったのかも。それでも、私は高校生の時に、ワイエスがテンペラという技法を必要とした理由を知って、それに大きな影響を受けていて、そして今回、高校生だった自分が得たものと、今の自分が得たものには確かな変化があったことが嬉しかった。ともすれば技術に目を奪われるタブローばかり並んでいたら、力の抜けたスケッチにこそ残る彼が掴もうとしたエッセンスは見逃してもいただろう。グッズ展開がすごかったが、掲載が出品作品に限られる今展図録はパスして、2017年初版の作品集を購入した。
ワイエスと、ポロックやロスコなどがアメリカで同時代の作家だということを最近あらためて気づいて、驚いた。でも、構図として物や人を配置して、作品によってそれが在る、という現実に到達させるのがあの描写であり、その点で同時代の物質的な抽象表現主義の潮流と通じると思う。物や人と書いたけれど、視点を変えて複数描いたことで、絵と絵の間に土地や建物の空間が立ち上がり、存在させている。
私は、何かが現実に存在する、その条件に興味があるのだと思う。
Xで知って本を手にとることは多い。タイトルだけではぜんぜん想像していなかったのに、紹介文を読んで、ずっと知りたかったことが書いてあるかもと気づけた。実際そのような本で、とても面白かった。
『キリスト教入門の系譜』(岡本亮輔・中公新書)
入門書を、初めてその分野に触れる人たちとの大事な接面として、何を核としてどう伝えるべきかが模索されてきたという導入から引き込まれた。
書き手個人の信仰はつねに社会や時代と深く関係していて、そこでの苦悩や挑戦が込められているからこそ、信者ではない人にも届きうる。
制度的なキリスト教とは関係はなくても、その作品にどこかキリスト教的な境地を感じさせるアーティストや作家に惹かれることが多いので、その理由を考えるうえでも大きな収穫があった。
キリスト教とは関係ないけれど、宮本常一について、影響を受けた他分野の人々との関連から、その真髄を紹介していく『宮本常一──民俗学を超えて』 のことも思い出した。
長年取り組んできたCane Projectのアカウントを作りました。アーカイブの整理がなかなか進まなかったので、活用していろいろと試したいと思っています。まず1年続けたい。
青山|目黒で開催されている折元立身さんを偲ぶ会へ
たくさんのドローイングからは折元さんの手と思考の熱に触れ(トロツキー、数字、落ち葉……)、90年代から記録撮影されている元田典利さんともお話できて嬉しかった。自分もパフォーマンスやインスタレーションのような作品をつくってきて骨身に沁みているのは、常に記録がとってくれる人の存在の偉大さ。折元さんのパフォーマンスを見に行くと必ず元田さんが撮影されていて、そのことの凄さが私にも年々分かるようになっていた。折元さんの作品に私の目が開いたのはそれほど昔の話ではないので、記録を通して出会えたところが大きく、元田さんにもお礼を言えて良かった。
また、2016年に川崎市民ミュージアムで「生きるアート」を企画された深川雅文さんもいらしていて、ドローイングに使われていたトロツキーの写真の話なども伺えた。どうしてトロツキーだったのだろうと考えるだけで触発されるものがある。


3月に訃報の記事を読み、それから一人で偲んでいたけれど、せっかくなのでこの機に記しておきたい。
折元さんのパフォーマンスは、今まで私の人生で見てきた作品の中で最上のもののひとつだった。青山|目黒では、ギャラリーのスペースならではの近さで何度もそれらを目撃できた。その中には、当時連日のようにニュースで報道されていた、虐待され亡くなった少女に捧げられたパフォーマンスもあった。始まる時に彼女の名前が読み上げられて、自分は息を呑んだ。
「生きるアート」展での「車いすのストレス」では、客席から興奮で杖を投げ出して参加していた女性がいて、彼女の杖を撮らせてもらった。2017年「26人のパン人間の処刑」(川崎市岡本太郎美術館)は、特に忘れられない。鑑賞中にこれは二度と見られないものだとと悟ったし、その後いつも無意識のなかで再生(再演)され、問われ続けている気さえする。
「26人のパン人間の処刑」はタイトルからも明らかなように、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令で、26人のカトリック信者が長崎で処刑されたことがモチーフになっている。作品は内容も強烈だったけれど、私の後ろにいた親子らしき小さな女の子と男性のやりとりも印象に残っている。パフォーマンスは実際の暴力的な行為は一切なく、しかしとても暴力的な感情に近づくという場ではあり、始まると女の子がその空気に怖がり始め、お父さんらしき人が彼女を気遣いながら、 いつでも出られる状態でしばらく鑑賞を続け、おそらく彼女が出たいと言って途中で退出した。そして、パフォーマンスが終わると一緒に戻ってきて、和んだその場でパンを拾ったりしながらゆっくり会話をしていた。こういう作品は成熟した鑑賞をも生み出すのかと思い知るような経験だった。あの時もらったパンと割れたお皿、くしゃくしゃの新聞紙が手元にある。折元さんはその一個一個にサインをしながら感想を聞いたり「これはそのうち値段が上がるぞ〜」とおどけたりしていた。
いつかのトークでは、もっと海外に行きたいし、海外の方が自分は合っているけれど、介護がありそうもいかないと口にされていた。作品を見ていると、文化や言語とは違う全くルートで到達してしまうような破格の風通しの良さがあり、生活からも路上からも愛する人からも見知らぬ人からも、決して離れるな、離れたところにアートはないと言われている気がする。
最近は誰かの死を悲しいと、ストレートに言えないというか、その感覚自体を麻痺させて日々をやり過ごしている。それだけ死がとても近い。でも悲しくないということはありえない。
偲ぶ会に参加できてよかったです。あらためてご冥福をお祈りいたします。
5月。2018年にAirLite Kochi(高知)での滞在制作でとてもお世話になった方が、この時期に揚げる「フラフ」について投稿されているのを見て、懐かしくて私も書くことにしました。
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今はさらに数が減っているかもしれないけれど、高知県東部では端午の節句前後になると、鯉のぼりと並んで「フラフ」という大きな祝い旗が揚がる。大漁旗を思わせる独特の色合いで、青空に映える姿が爽快で、たぶん、空の青さが混ざることを見越して、工房ごとに色を工夫しているのだと思う。
2018年、高知の香美市(やなせたかしが育ったことで知られる)での滞在制作中に、地元の染め物工房の前を通りかかったのがきっかけで、フラフをモチーフにした作品をつくった。もともとフラフは、跡取りの誕生を祝い、地域にその名を知らせるためのもの(今は女の子用もあるらしい)で、作品はその習慣を川の色に染まる無地の旗で読み替えるものになった。 大きな旗を揚げるのは、純粋に楽しかった。カメラをセットする前に、地元のおっちゃんたちが4mくらい柱をどんどん立ててしまい、焦ったのをよく覚えている。
《川を染めとる/日次のフラフ》
当時の滞在は秋、本物のフラフが空にはためくところを見ることができなかったのが心残りで、2020年に再訪。工房の人にだいたいの地域と方角を教えてもらって、車で回った。ちょうど田んぼに水が張られ始めた頃で、空が水面に映り込んでいたのが印象的だった。 旗は探そうとすると不思議と見つからず(私だけか)、柱のてっぺんでカラカラと回る飾りを目印にすると、うまくいく。そして、大きな旗ほど常に開いているわけではないとも知った。国道沿いで見つけた2本の旗が気に入り、風を受けて開くのを日が暮れるまで待ちながら、旗のこと、自分は何も分かっていなかったなと思いその日は終わった(明朝の風で開いた)。




これだけ高い柱を立てる仕組みを家ごとにもつのは、今の時代ではきっと難しい。でも、何か嬉しいことがあったら、大きな旗を揚げるという生活はいいものだろうと思う。旗と暮らすことは閉じている時間も開いている時間も共に過ごすということだ。
香美市から北東に進んだところには、物部町の神池という素晴らしい場所がある。そこでは役目を終えたたくさんのフラフが揚がっていて、その色あせ具合にも風格があった。まるで半分風になっているみたいだった。昔は使い終わった旗を布団のカバーにしていたと聞いたことも。旗が生活に還っていく、その流れを追った続編もいつか作ってみたいと思ったんだった。制作を通して出会えた人たちは、どの人も面白くめちゃくちゃいい人ばかりで、思い出す姿はみんな後光がさしている。また行きたいなあ。

