水位が たしかに 私の体にまで

原爆の図丸木美術館の母袋俊也「魂-身体そして光」展の最終日に。
絵画の形式と主題がこんな形で結晶化するのかと。自分にとって大切なものを見ることができた。
建物の外の地形と結びついたインスタレーションは、府中市美術館の「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」展を、美術館そのものとその周辺に満ちた空気は「群馬のあかつきの村」で過ごした特別な時間を思い出させた。
どういう立場で思うのかわからないけれど、どうか私を含めて作り手は、自分の課題を簡単に誰かに名付けられたり、分類されたり、理解されたりせずに、自分が気づいた時には意識にあり、以来手放すことができないというそのことをひたすらに探究していってほしいと思う。それはある時点や地点では、時代に求められていないものやありふれたものに見えることもあるけれど、自分の生とそれとが関係づいた理由には、必ずなにかオリジナルで他者への贈り物となりうるものが潜んでいる。それに形を与える過程では、社会や歴史、他者とのかかわりは不可欠だけれど、それをできる心身をもつのも自分だけなのだから。

作り手としてはそんなことを思ったが、なによりも人としてこの場所で思ったことは。あまりこんな書き方はしないけれど、この原爆の図丸木美術館は、人生で一度は必ず訪れるべきところだ。一度訪れればまた来たくなるし、実際に体が移動しなくても、心が何度でも訪れることになる。

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