ぼんやりとした時間の往還

最近は夜のミーティングが多く、その時間帯に考えたり話したりするエンジンをつかうと、その後ずっと頭の中で声が反響し続けて、なかなか眠れない。頭は冴えている(多分)ので、新しいアイデアや打開策も浮かんでくる。眠れない上にアイデアが消えていくのは馬鹿らしく、ベッドを出て、書き記す。ノートの罫線を完全に無視した筆記。落ち込んでしまっている時もあるので、そういう時は、最近できるようになったことを数え上げて、自分をほめる。もともとできることが少ない人間なので、できるようになったことがあるのは、しみじみ嬉しい。一通り記すと、あとはだんだん考えることを減らしていって、頭を空に近づけていく。最近、そのぼんやりとした時間に、ギャラリーHAMの神野さんを思い出した。

亡くなられたのは2020年。HAMでは、3人展と個展を2回させてもらっている。神野さんは、とんでもない読書家で、いつ行っても本を何冊か平行して読み、本へのアンテナはとびきり敏感だった。そして、彼は多くのHAMの作家に本をたくさん貸しているようだった。私(だけでなく同席した夫まで)もたくさん借りた。会った時に、最近考えていることとか作品のプランの話とかをすると、処方箋のように、しかしどこにどのように効くかはわからない本を手渡してくれた。いや、効くか効かないかなんて、本に使う言葉じゃないだろう。

一度だけアポをとらず、ふらりとHAMに立ち寄った時のことが懐かしい。とくに話題もなく、今日は京都のホスピスにいる友達に会ってきた帰りなんですと、ぼんやりしながら(神野さんと話すときにぼんやりしているなんてことは、この時以外なかった。そうじゃないと会話についていけなかった)話していた。神野さんは私の言葉を聞いてくれた。いつも通り。そして、その時読んでいた本のことを話してくれた。それもいつも通り。

そんなことをしてくれる人はもういない。神野さんは何人もの素晴らしい作家を育てたことで知られているが(育てたという表現がベストなのかわからない)、私が関われたのはほんの数年間で短い。もっと作品を見てもらいたかったし、聞きたいことがたくさんあった。それが叶わずもちろん残念だったけれど、私に空いたままの穴は、それだけが理由ではないと今になって気づく。

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